マイオセラピーの歴史的背景

ファシリテーション・テクニック期
1968年 筋骨格系疾患と考えられている「腰痛症」の理学療法に挫折感を味わい,中枢神経系疾患の理学療法(ファシリテーション・テクニック)にさらに興味を引かれた.
1972年 アメリカ合衆国フィアデルフィア市のモス・リハビリテーション病院にて,アメリカ理学療法協会の研修プログラムを受けた.
1973年 カナダ,オンタリオ州ハミルトン市のシェドック・マックマスター病院に理学療法士として就職した.
1974年 イギリスの西部脳性麻痺センターにてボバース法2ヶ月コースに参加した.その後,2年間にわたりボバース法を用いるも,脳病理の限界を知り,この治療法の効果に挫折感を味わった.
徒手療法(関節障害説)期
1976年 シェドック・マックマスター病院の同僚理学療法士から“マニュアルセラピー(徒手療法)”の紹介を受けた.その治療効果に感動し,即マニュアルセラピーの学術研修を始めた.
1977年 国立療養所東名古屋病院附属リハビリテーション学院(理学療法士・作業療法士養成校)開設のため帰国した. マニュアルセラピーの臨床応用を始めた. イギリスのJ. Cyriaxの横断摩擦マッサージ法を最初に用いた.

英国医師 James Cyriax 著 Orthopaedic Medicine Vol. 1 & 2.

その後,関節モビライゼーション,関節マニピュレーション,カイロプラクティック,などのテクニックを模倣・実施し,文献学習に努めた.

1982年 日本整形徒手療法研究会を発足させた(6月5日).
1983年 J.G. Travell & D.G. Simonsによるトリガーポイント・マニュアルが発刊された.

米国医師 Janet G Travell・David G Simons 著 Myofascial Pain and Dysfunction – The Tirgger Point Manual Vol. 1 & 2.

1986年 日本整形徒手療法研究会を,治療対象の拡大などの理由から,日本徒手医学研究会と改称した(4月12日). この年,日本徒手医学研究会主催の第3回全国研修会(4月,三重県伊勢市)にて,“ポリモーダル受容器”と出会った.講師は名古屋大学教授熊澤孝朗先生であった. このポリモーダル受容器との出会いは,現在に至ってもマイオセラピー理論の主要な部分を占めている.神経性炎症や鎮痛作用などがその例である.
筋筋膜摩擦伸張法(筋障害説)期
1988年 日本徒手医学研究会主催の第5回全国研修会(4月10日,東京都帝京大学医学部付属病院 )にて,それまで考えられていた,「マニュアルセラピーの治療対象は“関節”である」という前提を「その対象は“筋”である」に大変革を起こした. その研修会で,講師の清水信雄先生の一言「もっと擦るんですよ」が“関節から筋へ”治療対象を変化させた.関節から筋への変化に伴って,J.G. Travellらのトリガーポイントの仕事に感動した.この変化は,マイオセラピーへの第一歩であった.しかし,ここでのマイオセラピーは未だマニュアルセラピーであった. この年に,これまで我々の治療法を単に“マニュアルセラピー”の邦訳である“徒手療法”と呼んでいたが,第23回日本理学療法士協会全国研修会を機会に“筋筋膜摩擦伸張法”と呼ぶこととした.この名称は「筋や筋膜を擦って(摩擦),伸ばす(伸張)治療法」という意味である.

真鍮製マッサージ治療器具(ゴールドフィンガー:角谷光雄氏命名)

日本徒手医学研究会発足以来,新たな概念とそれを表現する用語を使ってきた.それらには,収縮痛,短縮痛および伸張痛の3種の運動痛,疼痛(短縮痛)抑制姿勢,筋連結,羽状筋などにみる筋のマクロ形態の特性,疼痛症候群の経過特徴としての釣鐘状経過(逆U字型経過),などがある. この年からアメリカ合衆国ウイスコンシン大学(ラ・クロス校)などにて,毎年2回のアメリカ・セミナーを開始し,2002年まで継続した.

1989年 第一回筋痛国際シンポジウム(The International Symposium on Myofascial Pain and Fibromyalgia)がアメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス市にて開催された. 第2回はデンマーク,コペンハーゲン市にて1992年に,初めて参加した第3回はアメリカ合衆国テキサス州サン・アントニオ市にて1995年に行われた.
旧マイオセラピー(筋障害説)期
1991年 治療理論との整合性から,“筋筋膜摩擦伸張法”から“マイオセラピー”へと改称した.“旧”マイオセラピーの誕生である. この時期,アメリカ・セミナーを開催していたこともあり,そのセミナーのタイトルとして,筋筋膜摩擦伸張法(Myofascial Deep Friction & Stretch Techniques)では言いづらいので,単純に「筋の治療法」という意味のマイオセラピー(Myotherapy)を用いるようにした.

種々のゴールドフィンガー

1993年 D.R.Hubbardらがトリガーポイント(筋硬結)で自発放電を記録した.
1998年 筋痛国際シンポジウム(The International Symposium on Myofascial Pain and Fibromyalgia)を前身として,国際筋痛学会(International Myopain Society)が発足した.

特殊なゴールドフィンガー:体重を用いて深層筋にアプローチする

2000年 日本徒手医学研究会主催の第17回全国研修会(10月15日)において,講師の名古屋大学教授伊藤文雄先生の一言「私の“肩コリ”には携帯電話のバイブレータで十分です.」が“徒手療法”から“振動療法”へと大変革を起こすきっかけとなった. この研修会の後,徒手療法で用いていた“摩擦法”の原理は “振幅” 運動であり,それは即ち“振動(vibration)”運動と言い換えられることに気が付いた.年末にはバイブレータの試作を始めた.

最初の MyoVib は手持ちタイプで,振幅2mmでした. 日本マイオセラピー協会が発足した(12月25日). 日本徒手医学研究会は解散した. 用語「マイオセラピー」とそのロゴマークを商標として登録した(商標登録 第 4398957 号,第4398958号 ).

マイオセラピー・ロゴマーク

マイオセラピー(神経障害説)期
2001年 国際筋痛学会の第5回学術大会(The World Congress on Myofascial Pain and Fibromyalgia)にて,C.C. Gunn先生と共同でワークショップ(Myofascial Pain Workshop)を担当した(9月13日).ここでバイブレータの試作品を紹介した. 因みに,世界を変えた9月11日(木)午前中の“9.11パニック”の中,私は,この会の座長を担当し,出席者の家族からの伝言を座長席から伝達していたことを思い出す. C.C. Gunn先生との親交のなかで,“筋障害説”より“神経障害説”による方が日常の臨床現象がより明快に説明できることから,この時期より“神経障害説”を取り入れ,神経障害についての文献学習を始めた.この考え方は現在でも変わっていない.
2002年 MyoVib®の標準型(HandsFree type)が決まった(9月).

MyoVib®・HandsFree タイプ

MyoVibとそのロゴマークを商標として登録した (商標登録第4577811号,第4572571号).

マイオバイブ・ロゴマーク
2003年 マイオセラピーの神経障害説を基盤とした理論と治療法の概要が固まりつつあった. 理論構築に新たな説明を用いた.その一つに,治療部位を胸椎,腰椎および仙椎とし,頚椎の治療を行わないことの理由として,これまでの頚椎の治療効果が明確ではないことと,神経発生学的に上半身の深部感覚が胸髄に入力され,その感覚入力により発生する反射活動(腺活動と筋活動;骨格筋,内臓平滑筋および心筋)が胸髄をとおして誘起される,との仮説が挙げられる.その他に,運動単位の法則,前枝・後枝の法則,後根反射の応用,などが新たに利用した知識であった.

MyoFit ・ロゴマーク

マイオセラピーにより獲得された神経筋機能を持続するため,マイオセラピー理論のもとアイアンガーヨガ(Iyengar Yoga)ポーズを応用した健康体操MyoFitを開始した. MyoFitとそのロゴマークを商標として登録した(商標第4654265号,第4654266号)

2004年 マイオセラピーの治療法の一つのエレメントとして,“自律神経機能調整療法”を開発した.自律神経調整法は,アトピー性皮膚炎・気管支喘息・鼻炎などの免疫機能異常に効果を発揮した.
2005年 マイオセラピー公式ホームページ(http://www.myotherapy.jp/)を開設した. 西式甲田療法と出会い,内臓,特に消化器系の自己管理(食習慣管理)が痛みや筋硬結に与える影響の重要性を認識するに至った.
2007年 末梢神経障害は神経根障害への対処(脊柱治療)のみでは完全には解決しないことが観察されたため,末梢神経絞扼部位および筋束内をも治療対象に含めた.よって,治療は脊柱治療と四肢治療とに大別し,脊柱治療では神経根障害と脊髄神経後枝障害の治療を行い, 四肢治療では脊髄神経前枝障害と筋束内(末梢神経が筋の束に入ってから)の治療を行うこととした.
2009年 西勝造氏の「西式健康法」と甲田光雄医師の「西式甲田療法」から『食べ物』の重要性を学んだ.また,その重要性は千島喜久男博士および森下敬一博士の「腸造血説」などにより強化された.
2010年~現在 『マイオセラピーは,体性神経40%,内臓神経40%,心因性20%の割合で行われる治療法である』とこの時点では,結論した. ここでいう「体性神経」は筋硬結を含む筋と結合組織を緩める作業(振動療法)のことであり,「内臓神経」は特に消化器系臓器からの求心性情報を正すための『食習慣』の自己管理(食事指導)を意味し,「心因性」は心的ストレスによる筋緊張亢進に対する対応(心理・精神的アプローチ)のことである.