辻井 洋一郎

医学博士

マイオセラピー創始者(マイオセラピーセンター六本木・松阪)
辻井洋一郎

三重県に生まれる。高校卒業後、日本で最初に設立された「理学療法士」学校を1968年に卒業する。卒後、虎の門病院に勤務する。1971年にアメリカ合衆国、フィアデルフィア市のモスリハビリテーション病院にて1年余り臨床研修の後、5年間、カナダ、オンタリオ州のシェドック病院に勤務する。シェドック病院に勤務中、1974年夏、英国にて脳卒中や脳性麻痺の治療法「ボバース法」のセミナー(2ヶ月)を受ける。英国よりカナダに帰加後、ボバース法に専念するも、その治療効果に満足できず、現在の「マイオセラピー」の基礎となるマニュアル・セラピーの学習を始める。1977年、名古屋で最初の「理学療法士」学校(国立療養所東名古屋病院附属リハビリテーション学院)の開設のため帰国する。帰国と同時に、カナダで学んだマニュアル・セラピーの臨床応用を始める。その治療法を、初めは単に、「徒手療法」と呼んでいたが、その後、「筋筋膜摩擦伸張法」と呼び、1991年に「マイオセラピー」と呼ぶようになった。1984年に名古屋大学医療技術短期大学部理学療法学科に移籍し、大学での理学療法学科開設に携わる。1997年には、その医療技術短期大学部が医学部保健学科に移行し、理学療法学専攻病態理学療法学講座の教授として2002年9月まで勤める。その間、三重県立看護短期大学講師、名古屋工業大学講師、アメリカ合衆国ウイスコンシン大学(ラ・クロス校)臨床教授、山形県立保健医療大学講師を務める。2002年、帝京平成大学健康メディカル学部に勤務する。同時に、マイオセラピー研究所長、マイオセラピーセンター六本木センター長を務め現在に至る。 学会活動として、日本理学療法士協会、カナダ理学療法士協会、日本柔道整復接骨医学会、日本疼痛学会、国際疼痛学会、などに所属し、日本疼痛学会では評議員を務めた。現在、さらなるマイオセラピーの学術的研鑽に努めている。 著書には、「マイオセラピー」、 理学療法ハンドブック[改訂第4版]、第 2 巻、第35章、協同医書出版社、 2008 「マイオセラピー」、図解理学療法技術ガイド-理学療法臨床の場で必ず役立つ実践のすべて、第3版、文光堂、 2007.9 「マイオセラピー」、アドバンス版図解理学療法技術ガイド、文光堂、 2005.1系統別・治療手技の展開-感覚器(外皮)/結合組織/リンパ系/筋系/神経系/関節系、協同医書出版社、 2014.9「マイオセラピー」 など。

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